大阪府油菓組合

かりんとう、奉天(ほうてん)、お好み揚、横綱揚など油菓子と呼ばれる「油で揚げたお菓子」たちに郷愁を感じる人は多いと思います。これらは遣唐使によってもたらされた、小麦粉製品などを油で揚げた点心(間食)をルーツとしていると言われています。当時の我が国では小麦を栽培していなかったので、小麦粉の代用品として米粉を使った「唐菓子」が社寺の神饌として今も伝えられています。また油は非常に貴重なものだったので、食材としては精進料理に使われたくらいで、庶民が使うようになるのはずっと時代が下がってからとなります。そして室町時代後期になり、改めて油で揚げた小麦粉製品が伝わり、江戸時代に「天下の台所」と呼ばれた大坂では、砂糖の消費拡大とともに、小麦の流通に加え、アブラナ類の栽培拡大と相まって現在に繋がる「かりんとう」が生まれたと推測されます。

明治生まれの古老は「花林糖」とか「オランダ」などと呼んでいました。また、小麦の乾燥生地や澱粉類を原料とした乾燥生地を揚げた、綱揚やお好み揚も同じような時期に生まれたと思われます。奉天は揚げ種を飴や砂糖でコーティングした菓子で、明治後期に生まれたと思われます。

残念ながら、大阪の油菓関連業者の古い記録は残っていませんが、昭和13年に主原料の食用油の配給を受けるため、全国の同業者を募り組合を結成し全国油菓工業組合連合会が発足しています。大阪では明治時代に創業の花林糖製造専業業者が確認されています。

昭和24年2月7日に「大阪油菓子組合」を創立。同25年9月24日に「大阪府油菓協同組合」に改称。同28年10月23日に「大阪府奉天工業組合」が結成され、同34年11月に両組合が合併して「大阪府油菓奉天協同組合」に。同37年10月26日に「大阪府油菓協同組合」に改称。現在は「大阪府油菓組合」として、岡部製菓(株)、紀和製菓(株)、てらき製菓(株)、丸英製菓梶A藪内製菓(株)、ラッキー製菓(株)の6社が営業しています。